Kyoto【京都】

京の都【京都
京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、英: Kyoto[1][2][3])は、日本の地名、都市。794年以降日本の首都であった平安京が位置し、都もしくは京などとも呼ばれていた。古くから日本の政治・文化の中心地として栄え、金閣寺や清水寺をはじめとする文化財が多く残る地域である。

現在京都といえば、広義では京都府を、狭義ではその府庁所在地たる自治体の京都市、もしくはその中心部の地域を指す。

蹴上駅
蹴上駅(けあげえき)は、京都府京都市東山区東小物座町にある、京都市営地下鉄東西線の駅。駅番号はT09。蹴上駅は京阪電気鉄道の京都と大津を結ぶ京阪大津線の駅。大津線(おおつせん)とは、京阪電気鉄道の京津線と石山坂本線の2路線の総称である。


平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)は、日本における古代最後の宮都[1]。794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都[注釈 1]。

桓武天皇により、長岡京に代わる都として山背国(山城国)愛宕・葛野の両にまたがる地が選ばれ、中国の洛陽城や長安城を模して793年(延暦12年)から建設された[2]。翌794年(延暦13年)に遷都。北部中央に宮城・平安宮(大内裏)が建設され、以降歴代の皇居が置かれた。遷都以来、次期奠都まで1100年近くに亘って都[3]であり、1869年(明治2年)まで続いた[4]。今日の京都市街が形成されるに至る。

名称
「京都」の語の由来
東アジアでは古来、歴史的に「天子様の住む都」「首都」を意味する普通名詞として京(きょう)、京師(けいし)が多く使用されていた。以後は京、京師、京都(けいと)などの呼び名が用いられた。
「長安」「洛陽」「」という呼び方
平安京(京都)は、古く詩文において中国王朝の都に因み洛陽、長安などとも呼ばれた。一説に、平安京を東西に分割し、西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」と呼んだという[8]。京域内を「洛中」と呼び、京域縁辺を「洛外」、京都以外から京都へ行くことを上洛と呼んだ。

❶日本国 、または日本(にほん、にっぽん)は、東アジアに位置する民主制国家。首都は東京都。
➋地名 は、土地に対して付けられた固有名詞。
❸都市 とは、人口の集中した地域で、政治・経済・文化の中心になっている大きな "まち"。多くの人口集団をもっており、家屋などの建造物が密集し、住民の生産がおもに第二次産業や第三次産業に依存して発達した集落。
❹794年 は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
➎古代 とは、世界の歴史の時代区分で、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指す。「歴史の始まり」を意味する時代区分である。古典的な三時代区分の一つであり、元来は古代ギリシア・古代ローマを指した(古典古代)。歴史家にとっては語ることのできる歴史の始まり(書き出し)を意味した。
❻この項では、かつての日本の首都(にっぽんのしゅと、にほんのしゅと)について解説する。
❻桓武天皇 は、日本の第50代天皇。諱は山部(やまべ)。
❼長岡京(ながおかきょう)は、山城国乙訓郡にあった奈良時代末期(または平安時代初期)の都城(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)。宮域跡は向日市鶏冠井町(かいでちょう)に位置し、「長岡宮跡」として国の史跡に指定されている。
❽山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。
❾愛宕郡(おたぎぐん)は、京都府(山城国)にあった郡。
❿葛野郡(かどのぐん)は、京都府(山城国)にあった郡。
⓫郡(ぐん)は、行政区画の一種。日本、中国、朝鮮などの、漢字文化圏に導入されたものである。
⓬中国 は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東部を占める地域、及びそこで成立した国家をさす用語。日本では、1972年の日中国交正常化以降、中華人民共和国の略称としても使用されている。
⓭日本の政治(にほんのせいじ)では、日本における政治制度について解説する。
⓮日本の文化(にほんのぶんか、にっぽんのぶんか)全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。